こころの相談室 HALPRIMURA -春プリムラ- | HALPRIMURA(春プリムラ)は女性の方を応援するこころの相談室です。悩み事などに関するカウンセリング。子供の学校相談。子供との接し方。人間関係など

TEL080-1588-2390
三重県伊勢市岩渕1丁目15−11
開室時間 9:00〜17:00(平 日)
9:00〜19:00(土日祝)

ある朝起きたらラズベリーが枯れていた

 友人から聞いたお話です。
 友人は家の小さな庭にラズベリーの木を植えていました。毎年たくさんの実をつけ、収穫した実はジャムにしたり、ケーキを焼き、ラズベリージャムを混ぜてピンク色になった生クリームで飾り付けをしたりして楽しんでいたのです。
 ある朝、庭に出てラズベリーを見ると先端が茶色く枯れかけていました。「えっ、どうして?!」と信じられない思いになりましたが、どうすることもできず見守っていると、どんどんと茶色くなっていき、枯れてしまったというのです。友人はラズベリーのまわりの草もすべて枯れてしまっているのを見て、義父に尋ねました。すると義父は、草だらけになっているから周りに除草剤をまいたと言うのです。友人はとても悲しい気持ちになりました。毎年たくさんの実をつけてくれた、かわいい木が枯れてしまい、かわいそうでしかたなかったのです。
 人は人とかかわる中で、どうしてこの人はこんなふうに言うのだろうとか、こんなことをするのだろうと思うことはよくあると思います。そして時にはそういったことで自分の心まで傷ついてしまうことがある……。
 私は友人に、これからは庭に何も植えない、何もしないということも一つの選択肢、と話しました。義父さんは、ほったらかされて草ぼうぼうになった庭を見て、「わしの役目!」とばかりに除草剤をまくかもしれません。
 事態はどう変わるか分かりません。人も日々変わることが考えられます。目の前のことにとらわれすぎて傷ついてしまうより、ゆっくり構えた方が良い場合もあるでしょう。また、人の機嫌が急に悪くなったとか、疎遠になられたりすることがあったとしても、自分自身を責めることはないと思います。
 だれより何より大切な自分の心を一番に考え、大事にしていきたいものです。







 

花子さんと太郎さんのものがたり

 花子さんは会社員です。今日は午前中、大切なお客様とお話をしなければならないので、お気に入りの淡いクリーム色のスーツを着て出勤しました。午後はその日は少し暑くなってきたので、上着を自分の椅子に掛けて、自分のデスクのある部屋とは別の場所で仕事をしていました。

 さて、仕事が終わり、自分のデスクに戻って帰る用意をしていたところ、椅子に掛けてあった上着に点々とたくさん黒いものが付着しているのに気づきました。まだ残って仕事をしている同僚の太郎さんに尋ねてみると、太郎さんは次のように話してくれました。「花子さんのデスクの左隣の由子さんが、黒色のインクの瓶を落として、周りに飛び散ったため必死に床を拭いていた。その時に付いたのではないか。由子さんはもう帰ったので、明日伝えた方がいいと思う。」

 床を見ると、なるほど少し黒い、取り切れていないシミが残っていました。

 花子さんはお気に入りのスーツだったのでとても悲しい気持ちになりました。もう午後7時を過ぎていましたが、自宅近くのクリーニング店に行ってみました。そこは、40歳くらいの優しい男の人が営んでいるクリーニング店でした。「捨て猫がいるとかわいそうで、ぼくは放っておけないのですよ。」と言ってたくさん猫を養っていました。猫たちはそのご主人にとてもなついているようでした。

 その日はもうお店は閉まっていましたが、そのご主人は優しく対応してくれました。「これはとてもショックですよね。わかりました。時間との勝負だと思いますから今からやってみましょう。」と黒いシミのついたスーツの上着を預かってくれました。ご主人は工場を開け、黒いシミをひとつひとつ丁寧に取ってくださったのだと思います。次の日の夜、受け取りに行くと、すっかり新品のようになったスーツがありました。本当に「プロの仕事」とは、こういうものをいうのだと感動しました。

 ところで花子さんは、由子さんになかなか言い出せずにいました。太郎さんが「どうして言わないのですか?」と言ってくれたのですが。

 そこでその翌日、太郎さんは、花子さんの椅子に掛けてあった上着に黒いしみが付いていたことを由子さんに伝えてくれたのですが、由子さんは「私には分からないです。」と答えたそうです。

 花子さんは、お金はかかったけれども、すっかり元通りになったし、感動することもできたので、まあ、よかったと思うことにしました。

 それから半年後、そのクリーニング店のご主人は体調を崩され、お店は休業となりました。そして、それから1年が経った頃に、ご主人は病気で亡くなられたのです。

 花子さんは今も、猫たちをやさしくなでて、エサをあげているご主人の姿が目に浮かぶのです。そして、夜遅くに、「このシミを絶対取ってやるぞ!」といっしょうけんめいに仕事をしてくれたご主人の姿を心に思い描き、涙が出そうになるのです。

 

 

 

 

 

 

 


「おかんがぼくのゲームを割った!」

 小学校5年生のK君はゲームに夢中になっている。お母さんがどれだけ注意しても「分かっとる」という生返事のまま続けている。だんだんお母さんの怒りもマックスに近づき、「ゲームばかりやっとるとアホになるんや!」などと声を荒げてしまう。K君は「うるさいなあ」と思いながらも、どうしても今やめることができず、「あとちょっとだけ」と言い返す。

 ついにお母さんはゲーム機を取り上げ、割ってしまったというのである。

 言うことを聞かないK君に腹を立てるお母さん。ゲーム機を割られて好きなことができなくなったことに腹を立てるK君。

 家の中に残念な「怒り」の空気が浮遊している。

 

 最近は友達の家に遊びに行くといっても、一緒にゲームをすることが多く、外で遊ぶことも少ないということも聞きます。子どもだけでなく大人の心も「とりこ」にしてしまうスマホ、ゲームですが、私は子ども達に、ゲーム中の脳の中では何が起こっているのかを分かりやすく話すようにしています。スマホ、ゲームにより脳の機能の一部がより発達するという研究結果もあると聞きます。それはそうだろうとは思いますが、脳の中の「こころ」の部分は眠ってしまいます。

 この「こころ」の部分は、人を人らしくさせる大切な部分です。「こころ」の部分が眠ってしまうと、カッとなりやすかったり(イライラしやすい)、不注意になったり(忘れ物が多い)、ゲーム以外のことに意欲がなくなったり(集中力の低下)、健康障害(自律神経の乱れ)が出たりすることが分かってきています。特にこれから豊かに成長していってほしい子ども達の脳の一部がほとんど停止状態のようになってしまうということに危機感を覚えます。

 正しい知識で科学的に、納得できるように繰り返し子ども達に話していくことで、スマホやゲームと上手に付き合っていってもらえればと願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


少し未来が見えますか

 子どもたちに「こころはどこにあるのでしょう?」と問いかけることがあります。  

 大人も子どももだれもが、自分やまわりの人の「こころ」の取り扱いに困り、悩むことがあると思います。

  「こころ」のことを考えて思い悩む人は、弱い人ではなくて、「感受性が豊かで優しい人」、「人を思いやることのできる人」です。  

 今回 わたしは、教員を目指す若い人たちへの応援メッセージとして『少し未来が見えますか?』(一粒書房)を自費出版しました。 子どものことが好きで、教員になったけれども、いろいろなことに悩んでこころを病んでしまっているやさしい先生がたくさんいると聞きます。自分を認めて自信を持って、ゆっくりと一歩をまた踏み出してみてほしいと思っています。子どもたちは、キラキラ瞳を輝かせて、そんなやさしい先生を待っています。

 『少し未来が見えますか?』の中の一節を少し紹介させてください。  

 

 学校現場は相当「ブラック」と言われている。私の友人やら知り合いにも学校の先生がいるけれど、若い先生がとっても悩んでいるという話を聞くことがある。当然、若い先生でなくても、とっても悩んでいる人はたくさんいるだろうけど、まだ教員採用試験に合格していない講師の先生などは、道を変更した方がいいのかなあとの迷いもあって大変みたいだ。子ども達のことが大好きで教えることが大好きな若い先生が夢破れたみたいな形で他の職に進路変更するというのはとても寂しい。  

(略)  

 人は、どんな後悔や逆境の経験があっても必ず乗り越えられます。でも、そのときに、理解し愛してくれて心から信頼できる人の存在が必要です。 子どもが道に迷った時、そっと手をつないで歩いてくれる大人が一人いたら、その子は行くべきところにきっとたどり着けるでしょう。大人だって同じです。  

 人生の中で、人は助けられる立場であったり助ける立場であったり、その時その時でいろいろなシチュエーションに身を置きます。どうしてこうも人生はけっつまずくことばかり?と思うことは何度も何度もあると思います。 けっつまずいて青あざつくり、血を流してしまってもいいです。一生傷ができたっていいです。それもあなたの人生の一つ。けっつまずいたときに見上げた空に少し未来が見えたら、立ち上がって、もう一歩進んでみませんか? どうかあなたの視界にいつも、ほんの少しの「未来」が見えますように。  

 

 「がんばれ、若い先生!」

 

 

 

 

 

 


中庭の亀さん・・・

 ある学校の中庭に亀の池があります。その池には亀が4匹住んでいます。池の真ん中にはブロックの島が作ってあり、その島で時折 亀が甲羅干し(日光浴)をしているのを見かけます。

 夏の暑いときは、日光浴をする姿をあまり見かけませんでしたが、少し日差しの勢いも和らぎ、今日は のどかに日光浴をしている姿を見ることができました。私はまだ、4匹が同時に日光浴をしているのを見たことがありませんが、朝一番に学校に来ると、4匹がまるで組体操のようにブロックの島の上にいるのを見ることができるのだそうで、それを教えてくれた生徒は、「早起きは三文の徳(得)というわけです!」と笑って言っていました。

 亀がのどかに泳いだり日光浴をしたりする姿は、子どもたちの癒しになっているようです。

 池の水替えと掃除を年に2回、子どもたちはしています。池に住む4匹の亀と魚をすべて別の水槽などに慎重に移し、水を全部かい出して、ゴシゴシと底をデッキブラシでこすりきれいにします。そして水を張り、亀や魚を戻します。その作業をしている子どもたちの顔はとても生き生きとしています。大変な作業ではありますが、子どもたちが本当にその作業を楽しみにしているのだということが伝わってきます。

 時折しか見ない私でさえ、なんだか亀さんに愛着を感じてしまっているのですから、毎日見ている子どもたちにとって亀さんたちに対する思いは大変強いのだろうと思います。

 身近に小動物がいて大切にするということは、子どもの心にとって、とても大切なことなのだと思います。

 これからも亀さんがいつまでも元気でいてくれて(「亀は万年」ですね…)、子どもたちの健やかな成長を見守ってくれますように。

 

 

 

 


いじめられて泣いた「なおちゃん」

 絵本『あなたが引っ込み思案だからいけないのよ』が10月1日に発行になります。初めての自費出版です。

 主人公は「なおちゃん」。 「なおちゃん」は、どうしてか理由がわからないままにいじめを受けて、しだいにひとりぼっちになっていきます。お母さんが「負けてはダメ!」と励ましてくれるのですが、友達のいない日々はとても辛く悲しいものでした。

 ある日、担任の先生に呼び出され、思いもかけない言葉をかけられます。そして、「なおちゃん」は・・・。

 

 私はこの本を通して、いじめは100%している方が悪いのであって、「いじめられる側にも問題がある」ということはあり得ないということと同時に、いじめは「耐えるもの」「負けずに頑張り続けるもの」では決してないということを訴えたいと思いました。

 いじめそのものが間違いで、人として許されない行為であるのに、それを受けている人が、そのことに耐えたり、負けずに頑張ったりしなければならないなどということはあり得ないことです。

 絵本の中の「なおちゃん」は、担任の先生や学校に助けてもらえなかったけれど、「お友達に助けてもらえて最終的によかったね、なおちゃんがよくがんばったから。」というふうに決して読んでほしくないという思いで書きました。 「これでいいの?」と警鐘を鳴らすことができたらという思いで書きました。

 その気持ちを汲み取っていただくことができたら、とても幸せです。

( 絵本『あなたが引っ込み思案だからいけないのよ』一粒書房 2019.10.1発行 )

 

 

 

 

 

 


「いじめは犯罪」…?

 2013年に「いじめ防止対策推進法」が成立し、いろいろな対策が取られていますが、辛く悲しい事件が後を絶ちません。「いじめは犯罪です」とか「犯罪とまでは言えないいじめもある」などと、「いじめ」という言葉だけが一人歩きをしているのではと感じることもあります。

 学校という場におけるいじめ問題への対処について、思うことがあります。

 社会では犯罪が起こったとき、被害者と加害者が同席して調べを受けるということはあり得ず、たとえ被害者の親などが加害者と直接話したいと望んでも、それは許されないと思います。

 でも学校においては、被害者と加害者を同席させ「仲良くしましょうね。」と(無理やり)握手をさせるとか、「本音で語りましょう。」という場を設けて、被害者(一人)と加害者(複数)に思いを言わせようとするなどということが行われているとも聞きます。被害にあった子は、大変怖い目に合っているのに、加害者の前で何が言えるというのでしょうか。こういうことが報道されると、世間から「学校がまるでいじめに加担しているかのようだ」などと言われても仕方ないのではないかとさえ思ってしまうのです。

 私はまずは「被害者を守る」ということが第一で、次にクラス、学年などの中の人間関係つくりを早急にしていくことが必要だと思います。一人ひとりに自己を肯定する思いや、よりよいクラスを作っていこうという意欲を持たせ、正しい秩序を根付かせないと、また同じようないじめが繰り返し起こってしまうのではないかと心配するからです。

 いじめは、そのときの被害者と加害者だけの問題ではない場合もあり、いろいろな要因が絡んでいることもあると思います。その時の状況により、それぞれベストな対策というのは違ってくると思いますが、たとえどんな「ささいなこと」と思われることであっても、担任の先生が一人で抱え込むというようなことにならないように、常に学校全体の問題としてみんなで知恵を絞って支え合って取り組んでいかなければいけないと思っています。そして、「ささいなこと」に気づける先生は、とてもいい先生だと私は思うのです。

 学校という場で苦しむ子がいなくなるようにというみんなの願いが一つになればと思っています。

 そして、おうちの方へ。もしいじめでお子様が苦しんでおられるというようなことがあったら、まずは、その苦しい場から一刻も早く離れさせてあげてください。それは決して「逃げる」ことではなくて、「ひどい状況から身を守る正しい選択」です。いじめは100% いじめる側に問題があります。大切なお子様をしっかり守ってあげてください。

 

 

 

 


アテネパラリンピック 小感

 2004年、アテネパラリンピックの年に私たちは車いすマラソン応援団として現地に向かいました。9月も下旬になっていましたが、アテネのまちはまだ夏の装いでした。

 

 9月26日午前4時、アテネのまちはまだ夜の中にあった。ホテルに着き荷物を預け小休憩の後、競技場へと向かう。近代オリンピックがはじめて開催されたところだそうだ。アテネの空は雲一つなく、どこまでも広がり、美しい星が瞬いていた。雨が少ないため道の土はカラカラに乾き、歩くと砂ぼこりが舞う。次第に空が明け染めてくるころ、競技場に着いた。競技場を背に立つと、左方向の丘の上にパルテノン神殿が見える。また、右方向にはリカビトスの丘が見え、その頂上に教会が見える。そして、すっかり明けた空は透き通るように真っ青だった。やがてゲートが開き、持ち物やボディチェックを済ませ、競技場に入る。観覧席はすべて大理石でできている。照りつける太陽はまだ夏が終わっていないことを実感させた。

 午前8時、熱いレースが始まった。コースはオリンピックマラソンコースと同じ、上り下りのきついコース、しかも炎天である。私たちが応援する車いすマラソン出場の伊藤智也選手は右肩を負傷しており、はたして上り坂を上り切れるのか、応援スタッフ一同心配だった。横断幕や、鈴鹿市の中学校の生徒達や市民の皆さん手作りの旗の準備などをして、揃いの法被を着て待機した。現地の日本語学校の教師をしている鈴木さんという方が、各ポイントに立ってくれている生徒達から携帯電話で報告を受け、それをみんなに知らせてくれた。電話が入り「○○地点無事通過」という知らせを受けるたび、みんなホッと胸を撫で下ろし、また新たな気持ちで待った。最後の10キロメートル、完走してほしい!という思いでみんな総立ちになっていた。T54の選手たちがまず、どんどんゴールしてきた。みんな国を越えて応援し、選手たちもとても誇らしげな、輝く顔でゴールしてくる。だれかが転倒すると、自力で車いすに乗って走り始めるまでみんなが見守る。そして走り始めると心からの拍手が起こる。やがてT52の選手たちもゴールし始める。次々と弱視の方や全盲の方もゴールしてくる。弱視の方たちはひとりで走っていた。全盲の方たちにはひとりひとり「GUIDE」というゼッケンをつけた方が伴走している。すばらしい光景にだれもが感動していた。伊藤選手は4位でゴールした。走り終えるとさすがに右肩を押さえ前のめりになっていたが、走り寄ってくるみんなに笑顔で応えていた。「あと10キロメートルという地点で右車輪の調子が悪く、回りにくくなり、しかも右腕が思うように動かせなくなってきた。」と話していた。その日、伊藤選手を囲み、みんなで祝杯をあげた。「まるで金メダリストみたいだ。」と照れ笑いの伊藤選手は本当に美しく見えた。

 2日後、閉会式が行われ、パラリンピックは幕を閉じた。そして夏が終わり、アテネに秋が訪れる。パラリンピックで燃えたアテネのまちは大きなやさしさに包まれていた。

 

 来年、東京でパラリンピックが開かれます。東京パラリンピックもまた、人々のこころに大きなやさしさを残してくれる大会になるといいなと願っています。


花と母の思い出2

 母はいつも朝から晩まで働いている人でした。休みの日ものんびりと体を休めていることはありませんでした。普段の日は、たとえ仕事がなくても、自分から仕事を見つけては、何かせっせとしていました。

 母は、どんな思いでこの世を去っていったのだろうとよく思います。何も語ることなく。本当に潔く、と言ってもいいかのようにこの世に別れを告げていきました。母は、まだやりたいことがたくさんあったろうし、気がかりなこともたくさんあったでしょうに。

 母は感情的になることはほとんどなく、泣き言を言う人でもありませんでした。頑張って当たり前という姿勢を持っていて、私にもそのことを求めました。母は私のことを心配し何でも一生懸命してくれました。どうしてそこまで、と子ども心に思うことさえあったほどです。そして、私の成功には、私以上に喜んでくれました。母は私をほめることはほとんどしてくれませんでしたが、母の愛情をたっぷり身に受け成長してきたのだと今では思っています。母の思い出は、花の香りや母が作る料理のにおいとともに多くよみがえってきます。それは母が亡くなり年月を経るとともに私の心により一層鮮明になってくるのです。

 八手の実ほど母のことを強く思い出させる植物はありません。冬のお昼、よく母は餅を焼いてくれました。餅の香ばしいにおいが台所に立ちこめます。台所から庭の冬景色を見ると、曇ったガラス越しに八手の実が見えました。今も、八手の実を見ると、曇ったガラスから見える庭の光景、餅のにおい、母の立ち居振る舞いがよみがえってきます。母はいつも商売で忙しかったから、母が台所に立っているときは、何だかとてもうれしかったのです。ほうれん草を湯がいたにおい、新タマネギと新じゃがを煮るにおい、そして、休日の夜にすき焼きをするときのわくわくした思い、それらはいつも母の声とともによみがえってきます。

 ある牡丹雪の降る夜、急な配達で母が出ていったあと、私は店の戸のところに立ち、落ちては消えていく牡丹雪を母が戻ってくるまでずっと見続けていました。母が戻ると私は「積もるかなあ」と母に尋ねたような気がします。母は「もう雨に変わりそうや」と言っていた記憶があります。私はいつも母の姿を探し、追い求め続けていました。実家の庭には、たくさんの木や花が植えられていて四季折々に、花や香りを楽しむことができました。私は、ひとり庭にいて花を見ているのが大好きな少女でしたが、寂しがりやでもあったようです。
 梅の季節になると家族で梅もぎをしました。本当にたくさんの実が採れました。この収穫の1日はとても楽しいものでした。今も、かごいっぱいの梅の実の思い出は夏に近い太陽の日差しとともに私の脳裏によみがえるのです。母は家の梅で梅酒や梅干しを作っていました。

 庭には離れがあり、その縁側から庭を見渡すことができました。私はこの縁側から庭を眺めることも好きでした。四季折々それは移り変わる絵のようでした。なかでも私の愛した絵のひとつは初夏のものです。火のような真っ赤な花をつけた大きなツツジの木があり、時折、真っ黒なチョウが飛んできて止まり、しばし羽を上下させるのです。それは私にとって、見ていて胸の高鳴る絵でした。真っ赤なツツジと真っ黒なチョウの競演はなんともすばらしいものでした。私はこのチョウを見る度、母に話しました、今日も来ていたよ、と。私はひとりこの離れにいて、よく静かな時を過ごしたものです。

 親というものは近くにいるときはそれほどまでには思わなくても、遠く離れたり、また亡くなったりしてしまうと、いろいろな感情を強く深く心の中に起こさせてくれる存在なのだと思うのです。ある人が、親ほど腹の立つものはない、などと言うのを聞いたことがあります。それも正直な気持ちなのだと思います。でも、いなくなったら、どれほど自分自身と分かちがたい存在であるのかを思い知らされるのだと思います。親子の間というのは、そんなものなのでしょう。いくつになっても、そして男性であっても女性であっても、母親は温かくなつかしい存在です。それ故、母というのは「悲しい」存在なのかも知れないとふと思うことがあります。

 


花と母の思い出

 私のもっとも好きな花のひとつに箱根卯木があります。幼い頃、家の前の道路を隔てた畑の脇にこの木が1本ありました。畑を囲う塀からほんのわずかに見えるくらいの大きさの木でした。不思議なことに毎年大きくなるでもなく、そして忘れられたような畑の片隅にあるこの小さな木のことが、よく気にかかったものでした。この木は、本当にひそかに、約束を守るかのように5月になると美しい花を咲かせてくれました。幼い私には、今年も約束を守って咲いてくれたのだ、と思えたものです。箱根卯木は、咲き始めは白い花が次第に赤くなっていくために、たっぷりとした美しい緑の葉の中で白、桃、赤の3色が本当に愛らしくいじらしく装っている風に見えます。私はこの花にいつも魅せられていました。今も、この花を見ると、遠い日の思い出がよみがえり、胸が熱くなるのです。

 家の裏にある庭にはタマスダレが並んで植えられていました。毎年夏になると涼しげな白い花を咲かせてくれました。母はこの花を、夏に咲き水仙に似ているためか、夏水仙と呼んでいました。私は大きくなるまで、ずっとこの花の名を夏水仙だと思っていました。今、本当の名前を知っても、やはりこの花は私の中では夏水仙のままです。花のたたずまいが夏水仙という名にとてもよく似合っていると思うからかもしれません。

庭には、いろいろな木が植えられていました。桜が2本、白梅が数本、はっさくが2本、みかんが1本、さつきやつつじが数本、蜜をたっぷり持った大きな白い花をつける椿、レンギョウ、ユキヤナギ、コデマリ、そして、母がぶどう柿と呼んでいたとても高い1本の木などです。母は、花や木の命名が上手だったのかも知れないと思っています。前述の夏水仙もそうですが、その他にも母が名付けたのだろうと思われるものがいくつかあります。庭にはユキヤナギの木が2本ありました。1本はよく他でも見られるもので、もう1本は、やや花が小さいものです。母は、大きな花の方はユキヤナギで、小さな花の方はこごめばなだと教えてくれました。花が小さなお米のようだからと母は言っていました。こごめばながユキヤナギの別名だと知ったのは後のことです。また、トリトマの花も2種類あり、大きな方はオニトリトマだと教えてくれました。もしかするとこれは私がオオトリトマのことを聞き間違えたのかも知れませんが、その姿からオニトリトマの方がぴったり合う感じがしています。ぶどう柿もそうです。私は今も庭にあった木がぶどう柿なのかどうか知りません。

 幼い頃の私の大切な居場所であった庭も畑も、もう何年も前に河川改修でなくなってしまいました。でも、花弁の1枚1枚の輝き、香り、やわらかな感触が母の思い出とともにいつも鮮明によみがえってくるのです。

 


| 1/2PAGES | >>


↑ PAGE TOP

Copyright© こころの相談室 HALPRIMURA -春プリムラ- All Rights Reserved.